自分が住むための家を、50歳間近となって初めて自分で設計することができました。
きっかけは駅前の再開発です。駅から徒歩約5分くらいの土地で旧宅に暮らしていたのですが、駅周辺の再開発が決定したため、移転をするために新しく家を建てなければならなくなったのです。
30年間使用された旧宅は、新築から20年ほど経った頃から少しずつあちこち傷み始めていました。建て替えなどを考えたこともありましたが、駅前再開発の話があったため、それが決定するまで修繕をしながら騙し騙し生活していました。移転直前にはあちこちボロボロな状態でした。
そして最初に開発の話が持ち上がってから10年以上かかって、ようやく計画が決定したのです。
新しい家を設計するにあたって、それまで暮らしながら不満に思っていたことを解消するために色々考えました。また仕事を通じて得たアイデアや問題点などを考慮したつもりです。前述の開発の話があってから10年の間にも、住宅に関して様々な情報を得ることができました。ちょうど50歳の節目となることもあって、この年に家を建てることができたのは本当に良いタイミングだったと思います。
以下、本編で紹介させていただく住宅がなぜそのような設計となっているのか、その意図をご理解いただくために旧宅などについても触れておきたいと思います。
有名住宅メーカの設計施工です。(色々と不満を書くので名前は伏せておきます)
左の図面は最終的な形態の平面図です。父・母・私・妻・息子・娘の6人で暮らしていました。1Fの洋室1は私が結婚して両親と同居する際に両親の寝室として増築した部分です。
新築当初は洋室1が無い状態で、父・母・私・妹の4人で暮らしていました。当時私はまだ学生で、この家は私とかかわりのないところで話が進んでいたようです。着工の直前になって知らされました。学生とはいえデザイン専門学校のインテリア科で建築も勉強していたので、少しくらいは相談してほしかったと思ったのを覚えています。
30年間この家に暮らしながら、いくつもの不満を抱えていました。そして新しく家を建てる機会に、それらの不満を解消できれば理想の家に近づけるのではないかと思いました。
ここにあげる私の不満は、おそらく皆さんに共感していただけるのではないかと思うので、参考にしていただけることを願います。
(かなり厳しく書き連ねていますが、新築当時は玄関ホールの吹抜けに感動したり、自分の部屋をもって家具の配置換えの楽しみを知ったり、生活の変化に合わせた使い方の工夫をしたり、多くのことを学ばせてもらった家です)
1Fはほぼ両親のためのエリアとなっています。和室1は息子が中学生になったとき、応接用に使用していた部屋を子供室として割り当てました。
脱衣室は一般的な1坪のタイプです。洗面化粧台と洗濯機を置いて、脱衣スペースが1帖分とれるので一般化した広さだと思いますが、かなりシンプルに使わないとすぐに使い勝手が悪くなります。
緑(適正に収納されている)
赤(収納しきれない/はみ出た物)
青(収納したきり出されない)
開口部を生かして部屋の有効スペースを広げるには、ベランダへの掃き出し窓を図の青い点線の位置にすればよかったのです。そうすれば四角い点線の物を置くスペースができます。
とはいえ、明るい開放感、上部に空気の逃げ道を作れば換気がスムーズ、上下階のコミュニケーションが取れる、などなど吹抜けにも良い面があるので上手に計画すればもっと魅力のあるものになるはずです。
生まれてから20歳までの間居住していた平屋の家です。父・母・私・妹の4人で暮らしていました。
左の図面は最終的な形態の平面図です。水色の部分は私が小学6年の時に勉強部屋として建てられた離れのプレハブ6帖、赤色の部分はその1年後に増築されたプレパブと母屋を連結する部屋です。
昭和初期は農家をやっている家がまだ多く、明治・大正に建てられた広い家(本家)は長男が継いで、次男以降は別の敷地や本家の敷地の空いているところに分家として新しく家を建てて住むのが一般的でした。
そういう家に子供が生まれ成長してくると、子供が勉強に集中できるための個室が必要となります。いわゆる勉強部屋です。
とにかく勉強部屋が必要となるのですが、机を置く場所がない、学生服や体操着の他しゃれっ気が出てきた子供の服を入れる場所がない、ステレオが欲しいと言い出す、など既存の部屋ではとてもまかないきれなくなってきます。
もともと浴室の床は台所の床より40cmほど低く、モルタルの床にタイル貼りの浴槽が置かれ、洗い場もモルタル床の上にすのこを敷いただけのもでした。風呂釜は石油式の内釜で勝手口からマッチで点火して風呂を沸かしていました。
そのように検討を重ねられた家でさえ、前述の旧宅のような不満がでてきます。2世帯を考慮した家に、結局老夫婦2人で暮らしているお宅をいくつも見てきました。
生家を建て替え、旧宅ができるまでのあいだ仮住まいしていた家です。
大正(明治後期?)に建てられたという、父の生家です。すでに伯父の家族は隣に別の家を新築していたため、空き家となっていたこの家を借りました。当初は茅葺屋根だったという古い家ですが、電気・ガス・水道は通っていました。現在は取り壊されています。